2011年ふりかえり(仕事編)

2011年ふりかえり、まずは仕事面。2011年中に書こうと思って気がついたら年を越してた。

1月~3月は…すでに何やっていたか思い出せない。自分のブログ記事を読んでも、長崎でAndroidセミナーの講師をやったの以外にもう一つやっていた案件が思い出せない。読み返すとけっこう忙しい状況だったようだけど…。

2月にやったAndroidセミナーの講師の仕事、1日半くらいずっと人前で話すという初めての経験。事前のセミナー配布用テキスト、当日説明用のパワポと一人で作成・準備することになって、1日半分のボリューム…と思って作ったらけっこうな量に。受講者は企業から有料で来ているという以外スキルレベルも分からない状態だったので、とりあえず実用的なサンプルアプリを作ってもらおうと題材を選んだけれど、実際にやってみると少し難しかったよう。時間はなんとか納めたものの、人に教えたり説明したりすることの難しさを感じた。

これから先、同じような仕事はおそらく無いと思うけど、喋りが下手な自分でもある程度周到に準備すればなんとか最低限の形で振る舞えそうだということは分かった仕事。

3月から先は、今も続く案件。今度の春にサービス開始のとあるものを作っている。

プロジェクト開始前に話を聞いたときから、作るもののボリュームに対してのスケジュールがタイト過ぎるのと、実際に提示された要件定義書などを読むにつれ「やりたい事てんこ盛り」のシステムに寒気がしたのを覚えている。そして3社での分担開発だったり社内でも遠隔地どうしの開発だったり、それぞれの担当分が自分の所を守ろうとしすぎて、誰がどのAPIを呼んでも微妙に使いづらい(=余計な実装が増える)全体構成になったあたりから既に破綻していたのかもしれない。外部にAPIを提供するときに「使う側が使いやすい」設計では無く「自分のところがいかに楽に実装できる」設計にしてしまったのが誤り。

そんな今でもまだトラブル気味のプロジェクトで自分は後方支援的な立ち位置で、調べ物とかアドバイザーとか現場と管理者側の間に立ったりなど。基本設計の途中で各チームリーダーに委譲したあとのフェーズでプロジェクト内の立ち位置が微妙になった感はあるので自分の振る舞い方を失敗したのかもしれない。かといってスペックマネージャになろうとしても仕様が膨大すぎて一人でカバーできる量じゃなかったしな・・・。

しかし、すっかり仕事でコードを書かなくなった。それに伴ってコードを書く感覚は鈍ってきている感じがしてる。コードレビューで人のソースを見てもピンと来るのが鈍かったり、問題を見つけられなかったりとかエンジニアとしてそれはどうなの、という場面もチラホラ。Androidを昔からやってた分、そのノウハウを今は切り売りしてる感じだけど、いつまで潰しが効くんだろうとは感じてる。

そこら辺の穴埋めというか、新しいことの吸収とかいろいろとプライベートな時間を割いてやらないととは思っていたけど、3月からデスマ気味な状態がずっと続いてて時間だけが過ぎてる。

このままだと年齢も上がるし社内的な立場も厳しくなってくるしねぇ・・・。ということで2012年は少しでも挽回したいところ。

デスマは残業代が多少増える以外、人生の時間泥棒だよなぁ。歳取ると本当に実感する。

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